シリーズ「阪和電鉄開通90周年記念 和泉に電車がやってきた」 第1回
第1回 阪和電鉄の設立と天王寺~和泉府中間の開通
今年6月、和泉市北部を走るJR阪和線は全線開通から90周年を迎えます。そこで、昨年開催したふるさと館の特別展「阪和電鉄90周年記念 和泉に電車がやってきた」の資料を基に現在のJR阪和線を建設、運営していた阪和電鉄の歴史と現在の和泉市域を中心とした沿線開発について紹介します。
大正時代、現在の和泉市域には鉄道はありませんでした。南海鉄道が難波から和歌山市の間を明治36年(1903)に開通させますが、カーブの多い海沿いのルートをとっていました。そんな中、大正8年(1919)に、泉州地域の交通網の拡充と、陸軍第四師団駐屯地のあった伯太村への交通網の構築などを理由に、大阪から和歌山までの電気鉄道敷設計画が大阪財界や宇治川電気(現在の関西電力)などによって国に提出されます。国は日露戦争後の鉄道国有化の際に南海鉄道の国有化に失敗したことと、折しも国鉄紀勢線の建設工事が進行していたためこれに接続することを条件に大正12年(1923)7月10日、認可します。南海と競合することから直線主体のルートと架線電圧も関西圏ではまだ珍しかった高速走行向けの直流1500V(ボルト)電化にし、府県境の雄(お)ノ山(のやま)峠(とうげ)に長いトンネルを掘るなど大阪と和歌山を高速で結ぶために多くの工夫を施します。
阪和電鉄は工事の進んだ区間から開業することになります。昭和4年(1929)7月18日、阪和天王寺(現在の天王寺)から和泉府中までの本線と、鳳から阪和浜寺(現在の東羽衣)までを開業させます。ここで、当時のパンフレットを紹介します。
このパンフレットは、阪和電鉄の阪和天王寺から和泉府中、浜寺開業時に出されたものです。高架線を走る真新しい電車が描かれています。
阪和電鉄の和泉府中までの開通により、現在の和泉市域に電車が走るようになります。他地域に比べ大幅に遅れましたが、和泉における鉄道時代の幕が上がりました。
この沿線案内は、阪和電鉄開業時に出たものです。信太山ももちろん出てきます。開業時に設置された駅は、本線が阪和天王寺、南田辺、臨南寺(現在の長居)、杉本町、仁徳御陵前、(現在の百舌鳥)、上野芝、鳳、信太山、和泉府中、そして途中の鳳から分岐して阪和浜寺(現在の東羽衣)です。各駅停車のみの運転で、天王寺から和泉府中間は約30分、運賃が33銭でした。7月の海水浴シーズンに開業したことから、天王寺から阪和浜寺には臨時列車が増発されていました。運賃は25銭、所要時間は約24分でした。
なお、開業時には、葛葉稲荷駅(現在の北信太駅)は設置されませんでした。当時の信太村による駅誘致運動については、3回目の連載で紹介します。
次回は、阪和電鉄の和泉府中から和歌山までの開通と、経営状況について紹介します。お楽しみに!
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