信太エリア

信太山演習場

信太山演習場

信太山丘陵は、江戸時代までは聖神社の境内地であったが、明治3(1870)年に国有地となった。明治5(1872)年、大坂鎮台の大砲射的場が設置され、大坂砲兵工廠で造られた大砲の試射が行われた。周辺の村に砲弾が飛来することもたびたびあったという。

その後、次第に陸軍用地が拡大し、明治20年ころには、信太山一帯が陸軍演習場となり、第4師団諸部隊の演習や学生の軍事教練の場として利用された。とはいえ、演習場内には、蔭凉寺や山ノ谷の集落のほか、農地、溜池も広がっており、近年まで地域住民の出入りも比較的自由であった。

戦後は米軍に占領されたが、昭和32(1957)年に返還された。北部一帯が鶴山台団地として開発されたほかは、自衛隊の演習場として引き継がれ今日に至っている。演習場であったために大規模開発を免れ、今日では貴重な自然が残るスポットとしても注目を集めている。