国分寺
和泉国は天平宝字元(757)年に河内国から分れて成立したため、国分寺は建立されなかった。続日本後紀によると、平安時代の承和6(839)年に、安楽寺を国分寺に昇格させたらしい。江戸時代の書物「泉州志(せんしゅうし)」には金堂・塔・中門の礎石が残っているとされるが、現在は本堂があるだけ。境内からは奈良時代前期の古瓦が出土する。
国分寺周辺には、光明皇后が国分寺の修行僧(智海上人)と雌鹿の子として、この地で産まれたとの伝承が残る。国分寺のある台地の崖下は、光明皇后が建てた治療施設、仙人風呂があったといわれ、今も奈良時代の建物の柱がそのまま地下に眠っている。